建築することは、「地」を「場」に変えることである。町場で建てられる一軒一軒の家を連なりとしてみた場合、我々はそこにどのような「場」を生んできたのであろうか。果たして「地」は、もとめられる「場」となり得たのであろうか。
かつて地域には『町角』と呼べるスポットがあった。そこは、その町角に住む人だけではなくて、その前を往来する人にとっても、何故かこころを落ち着かせてくれる「場」であった。
いつも変ることのなかった風景が、ある日突然、解体破壊され、新たに建築されて風景が一変したとき、我々は感銘の喪失を覚える。もしそれが変哲もない風景であったとしても、失ったものが意外に大きかったことを知る。そしてその風景は二度と戻らない。
今、各地域の風景は音を立てて変貌している。OMソーラー協会の加盟工務店は、全国300社を数えるが、この急速の変貌に忸怩たるものを禁じ得ないでいる。
建築は恐い。人のこころの中にあったものを壊して建築するのだから。
建築する者は、恐れを知るべきである。そこに確かにあった「地」を、建築によって新たな「場」とするとき、人びとにとって好ましい「地」の再生はどうあるべきなのか。我々は、そうした『町角』づくりの「解」をここにもとめたい。
さらには、その『町角』に住む人にとっての居心地を、我々は大切にしたい。もし『町角』の内側が、鬱屈を強いられる家であったとしたら、その表情は『町角』に自ずと映し出されるであろう。『町角』に住む家族の夕餉の営みを、団欒の「場」へと高めてくれる良き居心地を、我々はつくり出したい。
そのための設えとして、我々はOMソーラーを挙げたい。単にOMソーラーが付いた家ということではなく、OMソーラーだから実現できる居住の質を問いたいのである。
風景としての『町角』と、その内側の居心地の良さを、ひとつのものとして考える設計提案を乞いたい。 |