今回の建築を巡る旅は調子が良かった。白丹交流センターも、葉祥栄さんの小国での一連の建築も、地域風土の中で活き活きと生きていくであろう建築が多かった。 しかしオートポリス・アート・ミュージアムが問題である。実は内藤廣さん設計の建築を訪ねるのはこれで5回目であった。規則的な美しさをみせる架構が特徴的な建築を、また体験することができるかと思って楽しみにしていたのだが…。
三重県志摩の「海の博物館(1992)」と「志摩ミュージアム(1993)」は同時に訪ねた。 「海の博物館」は言うまでもなく日本建築学会作品賞、吉田五十八賞、芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した内藤さんの代表的な建築である。海と人間の長くて深いかかわりをあらわす数万点の漁労用具を集めて展示・保管するためのこの建物は、展示棟2棟と収蔵庫3棟、管理棟、体験学習棟で構成され、海が近いので激しい風雨を防ぐために青々とした緑に囲まれた敷地の中に建っている。展示棟の外観は杉板にコールタールを塗った黒々とした外壁と、塩害に強い瓦を葺いてあり、規模の大きな納屋のようなイメージだ。中に入ると切り妻の直角的な形は失せ、米松の大断面集成材を使ったアールがかかった複合立体トラスによる明るい木の空間が広がる。まるで鯨にのみこまれてお腹の骨格を内側から見ているような架構だ。ざっくりとした内部では大型木造船にマネキン漁師が乗り込み、大海原での魚との格闘を演じていた。その他、釣針、漁具、漁網、漁民の生活用具があちこちに飾られている。空間と展示物が一体となって、なんでもありの雑多な感じが楽しい反面、重々しい海とのかかわりを感じさせる展示もあって、過去がずっしりとのしかかるようでもあった。 かわって収蔵庫は、外観の白い壁と瓦ぶきは蔵を連想させ、中は展示棟の華やかさとはうってかわって、プレキャストコンクリート・ポストテンション組立構法だそうで、同じように規則的な美しい架構を見せてはいるが、窓はひとつもなく照明が現代的な蔵である。閉ざされた空間の中には役目を終えた木造漁船たちが無数に横たわっていた。
左 海の博物館展示棟内部 右上 海の博物館展示棟外観 右下 海の博物館収蔵庫内部
「志摩ミュージアム」は海の博物館から歩いて10分のところにあった。高台なので敷地からは海の博物館をのぞむことができる。でもミュージアムは海の博物館とはまったく形状が異なり、建物の足元には地場の石がゴロゴロ積もり、RCのがっしりとした荒々しい壁がそびえ立ち、その上に木造の切り妻屋根がかけられ、瓦が葺いてあった。中に入ると集成材の登り梁、その下には変形を押さえるための鉄筋のテンション材が立体的に張られ、トップライトが設けられていた。海の博物館の架構とは違う解き方で、華奢な美しさがあった。ちなみにここを管理されている地元出身のアーティストの方がたまたまいて、ご厚意で展示室2階のアトリエまで見せてもらったが、トップライトから差し込む光のもとでの制作活動が良いとのこと。この建物は美術館ではあるが、音楽会を開いたりさまざまな催しものを行っているということだった。
九州天草半島の一番突端にある牛深の「うしぶか海彩館(1997)」は、熊本アートポリスのプロジェクトであるレンゾ・ピアノ設計の牛深ハイヤー大橋の付け根部分を挟むようにして建っていた。内藤さんはこのピアノの橋を背骨とし、ここから肋骨が広がる建物の形を思い描いたという。トラス部分だけをスチールパイプでおきかえた集成材の屋根が連続する。この屋根の下は市場のような広場が広がり、近海でとれる魚達が泳ぐいけすがどんと真中にあり、ブースで区切られたような場所には研修室があったり、魚屋、物産店が並んでいた。平日月曜日のせいかあまりにぎわってはいなかったが、かわるがわる観光客らしき人陰が行き来をしていた。その昔はかなりの水揚げ高を誇っていたが、漁場が近海から移動してしまったらしく、最近はあんまりなんだとタクシーの運転手さんが言っていたのが気にかかったのだが…。
長野の「安曇野ちひろ美術館(1996)」はOM研究所が企画しOMソーラー協会と共催した「秋の学校」で訪れた(OMフォーラム誌vol.15号参照)。バックの安曇野の山々の風景に沿うように切り妻の屋根を並べ、しかも建物は横に広がる土地の中に埋もれたように極端に低く、その存在を誇示してはいない。ちひろさんが愛したこの風景をいかに壊さないか、調和するかを主として計画はすすめられたようだ。RC部分は内外とも珪藻土で仕上げてあり、あたたかい印象を受ける。建物内部を見上げると地場産材のカラマツで作られた象徴的な美しい架構が見られる。ここでは頂上部のアールとともに中にある家具類が、いわさきちひろの絵と同じやわらかな表情を建物の中にも作りだしているように思えた。ゆったりと絵や絵本を楽しむことができる空間だった。